と発言していたのが「The KLFか、面白いなぁ」と印象に残っていました。
ジュリアン・コープはネオ・サイケのアーティストでけっこう有名な人なのですが、彼が裸のラリーズ
に衝撃を受けて執筆したこの著書には1853年の黒船来航から始まって(!?)所謂「ニュー・ロック」と言われる日本のロック・シーンがどのように作られていったのかということが書かれています。
内容としては「外国から見た日本」といった感じで 勘違い、思い込み、妄想に溢れ、下部にある訳者の脚注がツッコミのごとく炸裂しますが…
まあ「日本から見た外国」もこんな感じなんじゃないかなと思います。
興味があって読んでいない方、是非。おすすめです。
まあ「日本から見た外国」もこんな感じなんじゃないかなと思います。
興味があって読んでいない方、是非。おすすめです。
(そういえば奇しくもジュリアン・コープも若い頃The KLFのBill Drummondが面倒を見ていたそうです。)
で、『JULY15,1972』
ダイジェストみたいですが
で、『JULY15,1972』
ダイジェストみたいですが
トラック・リスト
『JULY15,1972』
2.THE TAJ-MAHAL TRAVELERS BETWEEN 7:03-7:15PM
3.THE TAJ-MAHAL TRAVELERS BETWEEN 7:50-8:05PM
メンバーは
小杉 武久:e-violin
小池 龍一:b,suntool,harmonica,steel
土屋 幸雄:vib,suntool
木村 道弘:g,per
永井 清治:tp,harmonica,castanet
長谷川 時夫:vo
林 勤嗣:engineer
タージマハル旅行団 (英名はTaj Mahal Travelers) は1969年に日本で結成されたバンドで、結成当時他メンバーの大半は20代前半だったそうですがリーダーの小杉 武久はもう32歳と他のメンバーと年が離れていたようです。
タージマハル旅行団のメンバーはそれぞれが好きな姿勢で演奏を行い(ダブル・ベースを横に倒して演奏したり)、疲れたら勝手に休息したりしていたそうで当時ライブを観た方のBLOGには
「印象に残っているのは、途中に休み(誰か1人、ピアノだったり、パーカッションだったり、が必ず演奏していたが)を入れたときのパフォーマンスで、トイレに行ったり、弁当を広げて食ったりしていたのだ。
メンバーの1人がバナナを頬張っているのを見たら、突然お腹が空いてきた。」
▲「タージ・マハル旅行団・・・前衛即興音楽集団のこと」 洋楽と競馬と脳の不思議ワールドの様な記述があります。
![](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhRhru4wVq1SBKHXR2yqzPaA_11in4XSdDGI3QgloqndM4MPhfhtZs9xmtqoNGh9ebzZOFAyUoJ3W9IkIq2e3jxxD8_Jh-mWER2-nb-7WVxnXL1U3J6F5JF1bqoQmIfbleaV_DF6XLs3go0/s200/20100405_1529236.jpg)
僕はこの音源がもつ独特のレイドバック感に、どこか日本屈指のトラック・メーカーKiller Bong(THINK TANK)氏と同じような印象を受けました。
(彼もまたよく旅に発つ様です。)
![]() |
Killer Bong氏 |
グループと「旅」とは切っても切れない関係にあり71年7月から72年5月までの約11ヶ月間、欧州ツアーからインドのタージ・マハルまでの壮大な旅に出ます。
(2008年にはその旅の姿を撮影したドキュメンタリー・フィルムのDVD『「旅」について』も発売されています。)
この旅についても小杉 武久の功績が大きく作用していたようで先程の『ジャップ・ロック・サンプラー』にも
「世界を旅する長髪族が、どこに行っても警棒に脅かされ、ちょっとでも妙なまねをしようものなら、留置所で一夜を過ごす羽目に陥っていた時代に、タージマハル旅行団は、小杉の模範的な信用証明のおかげで、常に重要なカルチャー・センターや権力の回廊に出入りできたのだった。」
と書かれており、各地のアート・フェスティバルや美術館、教会などでの演奏を成功させています。
しかし、74年に小杉 武久がソロ作『キャッチ・ウェイブ』を発表。76年頃に小池 龍一と土屋 幸雄が宗教活動に入るのを機にグループを去り、76年には小杉 武久も脱退、その後グループはいつのまにか消滅してしまったようです。
「お客なしで演奏したり、アジアのハイウェイで羊飼いに出会うとぼくらも笛吹いて演奏したりしました。それがとってもいいんですよ。ぼくらの音楽は、偶然のように具体的な旅になっていますけれども、現在でも自分自身が音楽の旅を愉しんでますよ。楽しいわけですよ。観客にひとつのメッセージを伝えるといった慣習的なあり方、あるいは演奏が活動のひとつのジャンルみたいになっているような活動の仕方、そんなやり方は、ぼくたちはとらない。結局は音を出したいという、自分の欲望。そういうところにだけ、ぼくらの音楽は立脚しているんですよ。」 小杉武久 (1973)
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